幸せになる方法

幸せに過ごすために日々考えてること

貧乏人を助けるべきかどうか

 

「自活できない貧乏な人を政府が助けるべきだとは思わない」と言う日本人が38% という記事を見かけた。

 

私も助けるべきとは思わない。

 

なぜなら私の毒母は、家族には「うちは貧乏だ」と投げつけるように言いながら、自分だけは浪費を繰り返していたから。

 

毎日、酒を多量に飲み(ビール500ml×2本、ワイン最低1/2本)、自分の服や欲しいもの、必要のないガラクタを買い漁っていたにもかかわらず、

 

食事が白ごはんに塩をかけただけ、ということもよくあったし、

私に対しては、お金がないことを理由に志望校を受験することを断固阻止し、

弟には習い事などほぼさせていなかった。

父には「金がない金がない」と言い、基本的人権さえない生活を強いていた。

 

もし政府からの補助があったら、毒母の生活がより潤うだけだったと思う。

 

自活できない貧乏な人全てが、この人のような行動を取っているわけではないと想像するが、ゼロだとも思わない。

 

「貧乏」という括りで、私の育った家のような家庭を助けようとすること、特に現金を与えるような援助方法は無意味だ。

 

結局、お金の使い方を考えない人にいくら与えたところで結果が変わることはないと思う。

 

 

 

所属感

自分はグループの一員である、という、

どこかに所属していると実感する感覚が、生きるのに必要なんだと感じている。

 

結構最近まで、私は複数名のグループに属していて、恥ずかしく感じることが多くあった。

自分は役立たずで、他人は自分の悪いところばかり見るのだと思っていた。

そう思っている間は、事実そうだったかもしれない。

最近そう思わなくなって、誰かと一緒にいること、どこかの一員でいることを自然に感じられるようになった。

 

子どもにそんな感覚を植え付けてはいけないよね。

 

忘れないでおこう。

 

お仕事

 

現在しているお仕事は

過去に経験したお仕事の中で一番堅く、自分の知識や経験が乏しいせいで難しく感じることも多くある。

 

上司との相性は悪くはないように感じているけど、相手がどう思っているかは不明。

 

上司の性格の問題もあるとは思うけど、ほぼ褒められたことがない。

ダメ出しばかり。

前向きに考えると、そのおかげで以前に比べ物事に対する考え方が現実的・合理的になったと思うし、視野が広くなった気がしている。

そういう意味でとても成長できたと実感している反面、自分が必要とされているとは全く感じていない。

 

起こるかもしれない転機を前にして、早々に仕事を辞めてしまうか、

それともギリギリまで惰性でもなんでもいいから、続けるのか。

悩んでしまいます。

 

 

 

 

 

転機

 

いまはただ待つだけ、という状況。

 

不安もあり、

どうせ転機を迎えるなら、いろいろ考えて行動したい!という意思もあり、

年が明けてからはいつにも増して、頭の中がぐるぐるしている。

 

なるようになる、はず。

 

 

 

 

 

 

フラッシュバック

 

地元に戻る必要があるかもしれない。

 

そういう可能性が出てきたことを理解すると同時に、毒母のことを思い出し、怖くなる。

 

あんな人たちとは、二度と関わらない。

 

そう決めているけど、向こうから何かしてきたらどうしようと思うと眠れなくる。

 

まだ完全な解毒はできてないんだな。

 

 

 

 

友だち関係

 

10年以上の付き合いになる、ある友人のことをふと考えました。

 

友人と言っていいのかな…と

ときどき思うのは、彼女から必要以上に対抗意識を向けられていることを感じるから。

 

趣味嗜好は近いと感じるものの、生き方とか考え方が全然違うと感じていて、比較する次元にいないと私は思っているのだけど、

自分の方が上だと示したいんだなぁと感じることが多くあって、面倒に感じます。

 

最近の人間関係が心地よすぎる。

みんな自分勝手で奔放だけど、愛を感じるから。

昔からの繋がりに疑問を感じるのは、私が少し成長した証拠かな?