嫌いな人
自分を不快な気持ちにさせる人がいた時に、以前の私だったら好き放題文句を言ってました。
毒母とのことで自分の心の中に折り合いが着いてからは、他人の、私には受け入れ難い面にも折り合いがつけられるようになりました。
なぜ、毒母とのことに折り合いをつけられるようになったのか、具体的な事象に関しては薄ぼんやりとしか記憶にないのですが、
ある日、何かのきっかけのお陰で、ある考えが浮かんだのです。
「彼女が毒を撒き散らしながら生き、人生を終えるまでそれを続けて、そうやって死んでいくのは彼女の自由だ」と。
彼女が毒であるということ と
私が彼女に支配され続ける ということ、
このことを切り離して考えられるようになりました。
彼女は変わろうとすることはない。
それは彼女が(私から見れば)"毒であること"を彼女自身が選択しているから。
彼女が彼女の人生をどう生きるかは、彼女の自由であり、彼女が望むのであれば毒であり続ければいい。
でも同じステージの上に自分は存在したくない。
そのステージから退場することを私は選びました。
まだ毒母と関わりがあった頃は、関わり続けないといけないと思っていました。
「だって親子なんだから」
でも本当に苦しくて、私はあんな人のようにはなりたくないし、なる必要もない、とようやく気づきました。
「子どもにとって害になることを進んでするような存在は敬うべき親ではないでしょう?」
自分で選択してもいい。
そう気づいたら、とっても楽になりました。
他人との関係も同様に考えられるようになりました。
相手と同じである必要はない。
相手が"そう"あることは相手の自由だ、ということ。
理解すると、とっても楽です^ ^