幸せになる方法

幸せに過ごすために日々考えてること

豚に真珠

 

先日、豚みたいな…と言ったら

豚に失礼に感じるようなおばさんが

高級ジュエリーショップで宝石を物色しているのを見かけました。

(とっても失礼な書き方でごめんなさい。)

 

あんなおばさんが、

あんな大きな輝く宝石をつけて着飾るのって…うわー

って思ったものの…

 

あのおばさんと私との違いって一体なんなんだろうと

我に返るような気持ちになりました。

 

シワの数や脂肪の量が違うかもしれないけど、外から見たら、思ったほど違わないんじゃない?

 

そう思ったら外側を飾るよりも自分自身を磨ける人になりたいと思いました。

 

気分が沈むとき

 

ときどき、気分が沈むときがあります。

 悪い意味ではなく、活発とは逆の、

低いところで漂っているような感覚。

 

 

誰かに迷惑をかけることがなければ、

予定していたことをキャンセルしてのんびり過ごしてもいいよ

って、自分に言いたいと思えるようになってきました。

 

まだスムーズに言えないけどね(^_^;)

 

 

 

 

不倫

 

ある人から、過去に不倫していたことがあると告白されました。

 

軽蔑するでしょう?

 

と尋ねられ、

 

全然。

 

と答えました。

 

私は不倫は悪いことだと理解しているけど、必要な人には生じてしまうことだとも思っています。

 

主人には、

絶対に私にバレないように、疑いの念さえ微塵も持たせないようにしてくれるなら、外で遊ぶのは構わないよ

と言ってあります。

 

私は人は幸せになるために生きているのだと考えていて、

 

もし私に主人を満たすことができないことがあったとして、主人が外でそれを補わずにはいられないような状況になったとしたら、

私にも非がある。

 

でも、外で女性と遊んで来られたと知ったら、私だって気分がいいわけがないから。

 

主人には、幸せに過ごしていてほしいけど、

私は、嫌な気分にならないでいたい。

 

じゃあ私が死ぬまで知らないでいられればいいのかなと。

今はそう思っています。

 

 

 

 

将来、また別の考えが浮かぶこともあるのかな。

 

 

 

 

 

嫌いな人

 

自分を不快な気持ちにさせる人がいた時に、以前の私だったら好き放題文句を言ってました。

 

毒母とのことで自分の心の中に折り合いが着いてからは、他人の、私には受け入れ難い面にも折り合いがつけられるようになりました。

 

なぜ、毒母とのことに折り合いをつけられるようになったのか、具体的な事象に関しては薄ぼんやりとしか記憶にないのですが、

ある日、何かのきっかけのお陰で、ある考えが浮かんだのです。

 

「彼女が毒を撒き散らしながら生き、人生を終えるまでそれを続けて、そうやって死んでいくのは彼女の自由だ」と。

 

彼女が毒であるということ と

私が彼女に支配され続ける ということ、

このことを切り離して考えられるようになりました。

 

彼女は変わろうとすることはない。

それは彼女が(私から見れば)"毒であること"を彼女自身が選択しているから。

彼女が彼女の人生をどう生きるかは、彼女の自由であり、彼女が望むのであれば毒であり続ければいい。

 

でも同じステージの上に自分は存在したくない。

そのステージから退場することを私は選びました。

 

まだ毒母と関わりがあった頃は、関わり続けないといけないと思っていました。

「だって親子なんだから」

 

でも本当に苦しくて、私はあんな人のようにはなりたくないし、なる必要もない、とようやく気づきました。

 

「子どもにとって害になることを進んでするような存在は敬うべき親ではないでしょう?」

 

自分で選択してもいい。

そう気づいたら、とっても楽になりました。

 

他人との関係も同様に考えられるようになりました。

相手と同じである必要はない。

相手が"そう"あることは相手の自由だ、ということ。

理解すると、とっても楽です^ ^

 

 

 

呪いの言葉

 

自分の言うことに従わない人間は許さない、という態度だった毒母。

 

特に私に対してその思いが格別強かったようで、彼女から離れようと努力していた時にこんなことをよく言われました。

 

「お前は孤立する」

「誰からも相手にされない」

 

今となって考えると、それは彼女の願望だったのだと思います。

 

自分に刃向かうなんて許さない、

自分から離れて幸せになろうだなんて許さない、

という私を呪う気持ちが込められた言葉。

 

そして、人から相手にされない自分の寂しさを裏返した言葉。

 

娘の私にはどんなことをしても許されると思っていたのでしょうし、どんなことをしても離れないと思っていたのでしょう。

 

 

結果からいうと、毒母との関わりを絶って、人に恵まれとても幸せに暮らしています。

 

友だちと思える関係を築けるようになったし、生まれて来てよかったとさえ少しずつ思えるようになってきました。

 

呪いの言葉を吐くような人と関わり続けること自体が良くない影響となるし、一刻も早くやめるべき。

 

そういう自分から決別したら、彼女も幸せになれるかもしれないのになぁ、と今は思っています。